12.27.2017

続・ひとのいない街 -みんななかよく-

今回の内容


  ■問題の整理

    ・放射性物質にまつわるもの

    ・避難生活にまつわるもの

    ・心理的なもの(日本社会にまつわるもの)

  ■どうしたらよかったのか

  ■復興の希望はあるのか




の記事は前回の記事「ひとのいない街」の続きです。
二本松訓練所の講義で言ってたことを、自分なりに調べて検証し、

更に岩沼視察の結果も踏まえて考察していきます。

でも講義で言ってたことは何一つ間違いじゃなかったよ!






!危険!


今回の内容はだいぶ込み入っているうえに、長いです!

興味なかったら読み飛ばしてください。






問題の整理



放射性物質にまつわるもの。



構前のニュースです。帰宅困難区域の指定解除を、

今後5年をめどに開始するようです。

しかしその範囲は指定区域全体の5%にとどまります。

Bib.
https://www.asahi.com/articles/ASK257641K25ULFA004.html



一説には、すべての帰宅困難区域に人が住めるまでに300年かかるとも。

今回問題になった放射性物質は主に3種類で、

  ヨウ素131(半減期8.04日)

  セシウム134(半減期2.07年)

  セシウム137(半減期30.1年)

です。



最も長いもので30年たてば放射線量は半分。

それ以前に放射性物質はどんどん自然界に拡散して薄められるのに、

どうして300年もかかるんだろう?

・・・というのが率直な疑問だと思いますが、

実は放射性物質の多くが何年たっても、
 
福島に留まり続けると言われています。

その主原因が生物濃縮(*1)です。

*1 特定の物質が生体内に取り込まれた後、体外に排出されず体内に溜まるため、
何かをため込んだ生物を食べた何かに、更に高濃度にため込まれ・・・というように、
生態系内の上位の捕食者に行くにつれて、特定の物質が高濃度にため込まれる現象です。



生物濃縮といえば、20世紀の公害や、DDTなんかが思い浮かびますが、

放射性物質でも同様のプロセスで生物濃縮が起こるようです。

なるほど!

と思い、調べてみました。



まず、生物濃縮=水生生物、みたいなイメージがあるので、

水属性の動物から見てみたのですが・・・

水産庁が大したことない、気にすんな!

みたいに書いている一方、一部の学者や反原発・主婦層なんかは

こぞって生物濃縮の危険性を強調しています。





なんじゃこれよくわからん。。。



という状態になったので、ひょっとしたら放射線に関する多くの議論と同様、

トランスサイエンス(*2)なんじゃなかろうかと思って、いろいろ調べました。

そしたら生物濃縮の強度として知られる、濃縮係数の定義に行きつきました。

濃縮係数についてざっくり言うとこんな感じです。

*2 科学で示すことはできるけど、科学だけで答えを出すことはできないよ、という問題です。例えば、原発の安全装置が故障する確率は科学で示せるけど、事故防止のために何個安全装置を付けるべきかは科学では示せないよ、的なものです。


分母として環境水(この場合福島近辺の海水)中の放射性物質の濃度を用いるのですが、

海洋では放射性物質が拡散するため、海水中の放射線濃度は低い上に、

海流等の影響でむらができるようです。

従って、通常海に拡散した放射性物質は、海洋生物の生物濃縮により

検出できるレベルになってから、見つけることが多い模様。

つまり分母がふわふわしているので、

濃縮係数も採用した分母によってふわふわするみたいです。

放射性物質の場合は分母となる環境水の十分なデータが揃い切っていないなかで

濃縮係数を割り出しているので、この分母をどう設定するかで見解が分かれた、

というのが根っこです。

Bib.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/radioisotopes1952/22/11/22_11_662/_pdf
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/pdf/qanda_j.pdf




でも、たとえ水産庁のデータを引用するにしても、

少なくともヨウ素で10倍、セシウムで5~100倍あるわけで、

それをもって「安全」とする水産庁のスタンスには賛同できないです。

そもそもDDT(史上最悪の環境汚染物質)を比較対象にして、

大したことないよ( ゚ 3゚)~♪

みたいな、安い統計マジックきらい!






い、つぎです。

陸上生物の生物濃縮はどうなってるの?

ということですが、その筋の人に聞くと、

「そもそも陸上生物に濃縮係数の考え方を当てはめるのは・・・」

と、あまり乗り気ではないようでした。

(どうも空間線量率を使うことが難しいようです)



しかし森林への放射性物質の沈着はチェルノブイリの例から、

より深刻であると言われていますし、林野庁もその辺に関してはオープンです。

Bib.
http://www.rinya.maff.go.jp/j/kaihatu/jyosen/H28_jittaihaaku_kekka.html

森林に放射性物質が留まるプロセスは次の通り。

  1.空気中を飛んでいた放射性物質が山野の木の葉に沈着。

  2.木の葉が地面に落ち、腐葉土となったことで、地面表層が汚染される。

  3.大半の放射性物質は土中にとどまる。

  4.一部は植物に吸収され、山間部の生物圏を循環する。

特にブタは放射能汚染の影響を受けやすく、

イノシシなど山間部の生物を食するのは危険とのこと。

Bib.
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140901.pdf




地表の線量観測結果は見つけられませんでしたが、

空間線量の調査結果は見つけたので、某巨大オンライン地図と重ねてみました。

やはり(汚染源付近を例外とすると)山間部で白色のドットが消えていないため、
 
山間部で線量が下がりにくい傾向が見て取れます。

12年4月
 13年4月
 14年4月
16年4月


Bib
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/ps-fukusimanoima.html




残念ながら、生きている限り付き合っていかなければならない問題でしょう。



Bib.
http://www.maff.go.jp/j/syouan/soumu/saigai/pdf/1_kiso.pdf






避難生活にまつわるもの。



「自主避難者」

この名称って良くないと思うんです。

一般に、「自主避難者」に対して「勝手に逃げた人たち」という偏見があると

言われますが、この名称自体が、「帰れるけど帰らない人たち」みたいな

誤認を助長しているのではないかとも思います。



避難指示発令に伴い、社会的な認知が伴わない中で逃げ、避難生活を送ったのが

いわゆる自主避難者。

屋内退避エリアで食料や医薬品が枯渇し、放射能汚染の中で経済機能も

麻痺し、更に近隣住民が避難したたために大きな不安を感じて

生活が続けられなくなり、避難に至ったのです。




彼ら・彼女らには、帰りたくても帰る場所がありません。

前回の記事でも書きましたが、避難後何年も経った町は、

経済機能が不十分です。

更に見た目上問題なさそうな家でも、内部はすみ着いた動物の糞尿や死骸などで

住める状態にないのがほとんど。

(持ち主がいなくなった家が数年で住めなくなるのと同様です。)

つまり帰るには、住居の立て直し、

経済インフラの回復が大前提。

でも生活基盤を再建し、日々の生活で大変な方々の多くに、

もう一度帰る場所を再建するだけの力は残っているのでしょうか。

Bib.
http://toyokeizai.net/articles/-/151985?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/151985?page=3

恐らく修論ですが、かなり良質なので。
http://www-hs.yamagata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2017/10/nenpou10_03.pdf



いちど生活基盤を奪われ、そこから再建をはじめる苦労は想像に難くありません。

私なんかはまだ若い上に一人世帯ですから、仕事や家が無くなっても

やり直しは比較的容易なのですが、そうじゃない方が大半だったはずです。

私には計り知れない苦悩があるように思います。



して同時に、コミュニティ崩壊の問題もあります。

住民が散り散りになった結果、地域のコミュニティが失われました。

田舎出身なら、地域のコミュニティがいかに重要な

セーフティネットであるか、理解いただけると思います。

社会学的見地から見た、コミュニティの機能
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2009pdf/20090113189.pdf


コミュニティ単位で補助金を規定せず、「30km」など、

地理的な条件などによって支援を決定したことも、

住民間での軋轢を生み、コミュニティ崩壊につながりました。



「新しいところへ行って、人間関係を作ればいいじゃない」

そんな意見もあります。

若年層はやり直す柔軟性とフィジカルを備えていると思いますが、

外に出かけるのも一仕事なお年寄りに対して、無責任にやり直せというのは

気が引けます。

Bib.
http://www.foejapan.org/energy/library/170310.html






心理的なもの(日本社会にまつわるもの)



わずと知れたいじめ問題

もともと「いじめにあう転校生」の

ステレオタイプが示すように、

日本文化は異質なものに対して受け入れ側が

適応しにくい傾向があるようです。

宗教学の世界でも言われていることですが、日本社会は「外」から

来たものに対してのコミュニケーションが下手糞な傾向があります。





ただでさえ「外」から来た存在は、周囲から

きちんと「内」に合わせられるか、厳しい目で見られるのに、

親同士が、避難した家庭が支援を受けているという
 
話をしているのを

子どもが聞いていたり、放射能について専門的な知識を得るに至らない中で、

子どもの間に「放射能=病気」的イメージが先行したりして、

いじめの理由ができてしまっているようです。

(ただでさえ小学生って「~菌」とか、「ウィルス」とか、「バリア~」とかって

好きじゃないですか。)



風評被害。

まあ、これは言わずと知れたものなので詳しくはいいでしょう。

訓練中、福島のお野菜やお米やお酒はたくさんいただきました!

どれもすごくおいしかったです。


訓練の一環としてきゅうり農家さんのお手伝いに入ったのですが、

そこのきゅうりの浅漬けがうまいのなんのって・・・!

無理にボランティアなんか参加しなくっても、

福島のうまいものを買って、「うまい!」って食べるのも、

一つの立派な、大事な支援の形だと思うのです。






どうしたらよかったのか



発被害にあった方々の現在の窮状を伺うときに、

必ずと言っていいほど、政府の対応、支援への不満を耳にします。

悪いのは政府でしょうか?



私は政府を責めるべきではないと思います。



災害公営住宅の建設時、コミュニティ形成が問題になると予測できたでしょうか?

少なくとも政策決定時にそんな助言ができた有識者はいなかったのではないでしょうか。

(推測です、すみません。)



風評被害の防ぎ方、鎮火の仕方って、確立できていますか?

できていません。



補償金・賠償金の配分だって、

「コミュニティの中で格差をつけたために、
 
コミュニティが崩壊した」

という方もいますが、(確かにその通りかもしれませんが、)

じゃあ、他の現実的な方法を提示できていたのでしょうか?

コミュニティ単位で補償金を渡して、中の話し合いで按分させる?

あるいは、コミュニティ単位で支援額を一定にする?

どちらも論外です。

前者は、金銭トラブルを誘発します。コミュニティ内での話し合いでは、

声の大きい人と小さい人がいます。議論に慣れていない人もいます。

按分の話し合いの中で不平等が起き、余計にトラブルにつながります。

後者は、補償原理(*3)の観点からすると、外部不経済を助長する、

パレート最適から最も遠い選択肢です。

例えば、帰宅可能とされる人々に、過大な補償が払われることになるため、

県外からの反発が過熱します。

*2 補償原理とは?
http://www.f.waseda.jp/ksuga/ecoinq5.pdf



東日本大震災と、その中で起こった原発事故は、

全日本国民にとって、経験したことのない規模の災害だったのです。

政府としても対応は初めてです。

政府の取り組みを見ると、被災地行政に対する支援や、

企業立地補助金など、結構考えてやっている側面があります。

政府がまずったところも、もちろんありますし、

それが死活問題となっている方がいらっしゃるのは、

(その方々からじかにお話を伺った分、)十分承知していますが、

支援の方策について県外者や政府など、見方を変えて考えると、

妥当性を帯びる側面もあると思うのです。

(かと言って、仮設住宅立ち退きは、完全に反対ですが。)






は最後に、ここからの復興について、

岩沼で見た希望、と行きたいとこですが・・・

あまりにも長く書きすぎてますね。

これは次の記事にまわしたいと思います。

(こうして、やるやる詐欺は生まれる)



ここまで読んでくださった方、稚拙な文章にお付き合いいただきまして、

本当にありがとうございます。

それではまた!




全体的に参考になる文献
http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/2017fukushima/